時事イタリア語

イタリア語の新聞で最新のニュースを読みます

ミャンマーの収容所での難民の生活の窮状、写真26枚つき

 

 ミャンマーの収容所では難民たちは、雨水をペットボトルに集めて、飲み水にするほどに困難な生活を強いられています。写真、必見です。一度みると、忘れられなくなるでしょう。あなたがそこにいたら、どうしますか。

www.corriere.it

 

Nel campo profughi dove vivono gli ultimi degli ultimi. Di certo c’è che cercano di dissertarsi raccogliendo acqua usando delle bottiglie. Denutriti, scheletrici, sembrano fantasmi. Siamo a Kanyin Chaung, in Birmania: qui sono in qualche modo stati accolti 730 migranti (ma il numero è assai maggiore e molti altri si trovano nelle stesse condizioni in altre località) soccorsi nel mare delle Andamane (Golfo del Bengala) dalla marina birmana per accertare la loro nazionalità.

 難民キャンプで生活しているのは、本当にどこにも行き場のなくなった人々である。そして彼らはペットボトルを使って、飲み水を集めようとしているのである。栄養不足で、ごつごつと痩せていて、まるで幽霊のようにみえる。この難民キャンプはミャンマーのカニン・チャウンにある。ここには約730名ほどの難民が収容されている。ただし難民の数はこれをはるかに上回るものであり、他のキャンプで同じような状態に置かれている難民たちも多いのである。これらの難民は、ミャンマーの海軍がアンダマン海(ベンガル湾)で救った人々であり、国籍を確認するためにここに収容されているのである。

 

Migrazione assai difficile da decifrare, con contorni complicati e controversi: è assai probabile che si tratti di Rohingya, minoranza musulmana apolide tra le più perseguitate al mondo. Si tratta di 1,1 milioni di persone sparse tra il Bangladesh e la Birmania stessa. Entrambi Paesi che stanno cercando di abbandonare. Non senza problemi e polemiche.

 難民たちがどこから来たかを確認するのはかなり困難な作業であり、背景は複雑で、さまざまな議論を呼んでいる。これらの難民が、世界でもっとも迫害された人々とも呼ばれた無国籍のイスラーム少数民族であるロヒンギャたちであるのはほぼ確実である。ロヒンギャの民は、ミャンマーバングラデシュの国境地帯に分散して生活している110万人ほどの人々であり、両国とも彼らを自国の領土から追い出そうとしている。彼らについては難しい問題があり、困難な議論がある。

 

Per il governo birmano i profughi che hanno abbandonato il Myanmar non fuggono dalle persecuzioni, ma stavano cercando condizioni di lavoro migliori altrove. Secondo l’Onu, invece, circa la metà dei migranti approdati sulle coste del sud est asiatico, nelle ultime settimane, sono Rohingya musulmani in fuga dalla persecuzione in Birmania, il resto sono bengalesi che scappano dalla povertà (Reuters)

 ミャンマー政府にとっては自国から逃げだした難民は、迫害されて国を離れたのではなく、別の場所でよりよい労働条件をみつけようとしている人々にすぎない。それとは反対に国連は、この数週間のうちに東南アジアの海岸に漂着した移民の約半分は、ミャンマーでの迫害を逃れて国を離れたイスラームロヒンギャの民であり、残りの半数は、貧困のためにバングラデシュから逃げ出した人々であると考えている。